2026.04.03:第108回 私の回顧録
中国縫製の日本営業7
〜総集編〜
みなさん。こんにちは。
前回のコラムでは、
「強みが分かっても、それだけではビジネスは回らない」
という現実についてお伝えしました。
そしてその中で、私自身が何を考え、どのように試行錯誤し、どんな壁にぶつかっていったのか——その過程を、できるだけリアルにお届けしました。
結果として迎えたのは、「契約終了」という一つの区切りです。
決して理想的な形ではありませんでしたし、悔しさが残る結末でもありました。
しかし、振り返ってみると、そこに至るまでの一つひとつの出来事には、単なる失敗では片付けられない多くの学びがありました。
むしろ、順風満帆な成功体験よりも、深く考えさせられる時間だったとも言えます。
今回は、「中国縫製の日本営業」という一連の取り組みを総括する回です。
断片的な出来事ではなく、流れとして振り返ることで、
・ なぜそう判断したのか
・ どこにズレがあったのか
・ 何が本質的な課題だったのか
このあたりを、より立体的に見ていきたいと思います。
◾️ すべての始まりは「一本の誘い」から
この仕事のスタートは、とてもシンプルでした。
中国の社長からの一本の誘いです。
当時の私は、前職を離れてから約一年間、いわゆる“充電期間”を過ごしていました。
長年走り続けてきた中で、初めて意図的に立ち止まり、自分のこれまでとこれからを見つめ直す時間でもありました。
そんな中でいただいた今回の話は、
単なる仕事のオファーではなく、
「もう一度、現場に戻るかどうか」
という選択を迫られる機会でもありました。
ありがたい話であると同時に、
自分がこれまで培ってきた経験が、どこまで通用するのか。
その“試金石”のような意味合いも感じていました。
そして私は、その誘いを受けることにしました。
もう一度、現場で勝負してみようと。
◾️ 最初の仕事は“既存取引の立て直し”
新たに始まったこの仕事で、最初に与えられた役割は新規開拓ではありませんでした。
それは、過去に私自身が関わっていた取引先との関係修復。
つまり、“ゼロからのスタート”ではなく、“マイナスからの再構築”でした。
工場側にとっても、この取引先は非常に重要な存在であり、
実際にその需要を見込んで新工場まで建設していました。
それだけ期待値が高かった分、
「何としても復活させたい」
という思いが強くありました。
しかし、期待が大きいほど、現実とのギャップも大きくなります。
この時点で、すでに難しい局面に入っていたと言えます。
◾️ 期待と現実のズレの始まり
中国の社長の見立てでは、その取引先は日本国内で急成長しており、今後も継続的な需要が見込まれていました。
そのための設備投資。
戦略としては非常に合理的です。
しかし、ビジネスは常に「外部環境」に左右されます。
まさにそのタイミングで、
世界はコロナ禍へと突入しました。
この一つの出来事によって、
前提としていたすべての計画が揺らぎ始めます。
「正しい戦略」であっても、
タイミングがズレれば結果は変わる。
この現実を、強く感じるスタートとなりました。
コロナがもたらした営業環境の激変
◾️ コロナがもたらした営業環境の激変
コロナの影響は、単なる一時的な混乱ではありませんでした。
・訪問営業ができない
・対面での信頼構築が難しい
・物流が不安定になる
・納期が読めない
これまで当たり前だった営業活動が、次々と成立しなくなっていきました。
特に、縫製という分野では、
「実物を見る」「対面で打ち合わせる」
というプロセスが重要です。
それができないということは、
営業の土台そのものが崩れることを意味していました。
この時点で、通常のやり方では通用しないという現実に直面しました。
◾️ 品質問題が信頼をさらに遠ざける
そのような状況の中で起きたのが、納品商品の不良です。
これは非常に大きな出来事でした。
信頼を取り戻そうとしている最中に発生した品質問題。
タイミングとしては最悪でした。
その後、何度もサンプルを作り直し、提案を繰り返しました。
現場も努力はしていました。
しかし、結果として取引が再開されることはありませんでした。
ここで改めて感じたのは、
「信頼は積み上げるのに時間がかかるが、崩れるのは一瞬」
という、ビジネスの本質です。
◾️ 既存取引も“ジリ貧”という現実
他の既存取引についても、状況は決して良いものではありませんでした。
コロナによる需要減少に加え、供給体制の不安定さ。
取引は徐々に細くなり、
気づけば「維持すること自体が難しい」状態へと変わっていました。
いわゆる“ジリ貧”です。
攻めるどころか、守ることすら難しい。
この状態は、営業として非常に厳しいものでした。
◾️ 中国リスクと日本回帰の流れ
さらに追い打ちをかけたのが、中国リスクの顕在化です。
・ ロックダウンによる生産停止
・ 納期遅延
・ 為替の円安
これらが重なり、日本国内回帰の流れが加速していきました。
つまり、
中国縫製そのものが「選ばれにくい存在」へと変わっていったのです。
これは個人の努力では覆せない、
大きな環境要因でした。
◾️ それでも取り戻した“ひとつの取引”
そのような中でも、営業として結果を出さなければなりません。
そこで実現したのが、過去の取引先との再開でした。
条件は非常に厳しいものでしたが、
「まずは取引を戻す」という一点に集中しました。
この判断は、短期的には正しかったと思います。
実績を作ることで、次につながる可能性があるからです。
◾️ 言語の壁を越える“注文書の再設計”
しかし、ここでも新たな課題がありました。
日本語の採寸表を、そのまま中国工場で使うことができない。
そこで行ったのが、中国版の注文書の作成です。
単なる翻訳ではなく、
「意味が正確に伝わる形」に変換する作業。
この取り組みは、後の“共通言語”の重要性につながる重要な一歩でした。
◾️ ミスと改善の繰り返し
それでも、最初はミスが続きました。
・ 仕様の解釈違い
・ 納期のズレ
・ 細部の認識違い
そのたびに修正し、改善し、また新たな問題が出る。
この繰り返しでした。
ただ、このプロセスを通じて、
少しずつ精度は上がっていきました。
“経験の蓄積”が、確実に形になっていった瞬間でもあります。
◾️ それでも続いた“構造的な課題”
しかし、本質的な問題は残り続けました。
最終的には、再び納期遅延が発生し、取引は終了。
つまり、
個別の改善では限界があったということです。
構造そのものを変えなければ、
同じ問題は繰り返される。
この現実を突きつけられました。
◾️ 「何を武器にするのか」を考え続けた日々
こうした状況の中で、私は考え続けました。
「何を武器にすべきか」
価格では弱い。
品質では不利。
その中で見えてきたのが、
“個別対応力”でした。
◾️ 「求められるもの」が武器になるという発見
量産では対応できない要望。
既存の枠に収まらないニーズ。
そこに応えられる価値。
ここで得た気づきは非常に大きなものでした。
「良いものが売れるのではなく、
求められているものが売れる」
この言葉は、今でも自分の中に強く残っています。
◾️ 武器はあっても“回らない現実”
しかし、武器があってもビジネスは回りませんでした。
・ ミス
・ コスト
・ 納期
これらが絡み合い、安定しない。
ここに、ビジネスとしての限界がありました。
◾️ そして迎えた「契約終了」という結末
最終的に、このプロジェクトは契約終了となりました。
結果だけ見れば、成功とは言えません。
しかし、その過程で得たものは、非常に大きなものでした。
◾️ まとめ
今回の経験を通して、私の中で明確になったことがあります。
それは——
営業とは「商品を売る仕事」ではないということです。
営業とは、
価値を見つけ、
価値を定義し、
それを相手に伝え、
最終的に“信頼”へと変えていく仕事です。
今回、私は多くの壁にぶつかりました。
そのたびに考え、修正し、また壁に当たる。
その繰り返しでした。
そして最も重要だと感じたのが、
「信用構築」という土台です。
これがなければ、
どれだけ良い提案も、
どれだけ優れた対応力も、
すべては意味を持ちません。
そしてもう一つ。
強みとは、持っているだけでは意味がない。
それを“仕組みとして回せる状態”にして初めて価値になる。
この2つが、今回の最大の学びでした。
年齢は65歳。
それでも、学びは終わりません。
むしろ、経験を重ねた今だからこそ、
見えるもの、感じるものがあります。
これからも、学び続けていきたいと思います。
◾️ 次回予告
次回からは、現在取り組んでいる新たな仕事についてお話ししていきます。
これまでの経験がどのように活きているのか——
一つの仕事にフォーカスしながら、
そのリアルを深くお伝えしていきます。
ぜひ、引き続きお楽しみにお待ちください。