仕事探し
〜自己満足の追求〜
こんにちは。
糸偏コラム「私の回顧録」第4回です。
前回までは、幼少期から学生時代までの「私と洋服の出会い」についてお話ししてきました。 今回からは、いよいよ社会との接点が生まれる「仕事」というテーマに入っていきます。
学生時代、好きなことに夢中になり、洋服やカルチャーとともに過ごしてきた時間。 その延長線上で、私はどんな仕事を選び、何を大切にしながら働くことになったのか。 今回は、そんな“仕事探し”の時代を振り返ってみたいと思います。

こんにちは。
糸偏コラム「私の回顧録」第4回です。
前回までは、幼少期から学生時代までの「私と洋服の出会い」についてお話ししてきました。 今回からは、いよいよ社会との接点が生まれる「仕事」というテーマに入っていきます。
学生時代、好きなことに夢中になり、洋服やカルチャーとともに過ごしてきた時間。 その延長線上で、私はどんな仕事を選び、何を大切にしながら働くことになったのか。 今回は、そんな“仕事探し”の時代を振り返ってみたいと思います。

実は私は、大学を一度休学し、その後退学しています。 理由はいろいろありましたが、一番大きかったのは「やりたいことを優先したい」という気持ちでした。
正直に言えば、そのときは将来のことを冷静に考えきれていたわけではありません。 ただ、「今しかできないことがある」「中途半端にはしたくない」 そんな思いだけは、やけに強く心の中にありました。
さすがに、そのときは親父に生まれて初めて本気で叱られました。 今振り返れば、それは当然のことだったと思います。 でも当時の私は、「自分の人生は、自分で決めたい」という気持ちのほうが勝っていました。
大学を離れてからの私は、ほぼ“波乗り中心”の生活でした。 とはいえ、サーフィンで生計が立てられるわけでもありません。 生活のためにアルバイトをし、その休みの日は、ほぼすべて海へ。
あまりに本気すぎて、バイト先の人から 「親の仇を討ちに行くみたいに海へ行くよね」 と、半ば呆れたように言われたこともあります(笑)。
それくらい、全力でした。 自分でも、それが“自己満足”だという自覚はありました。 だからこそ、「期限を決めよう」と思ったのです。
「24歳になったら、ちゃんと仕事に就こう」 そう決めていました。
そしてもう一つ、心に決めたことがあります。 それは、仕事がきちんとできるようになるまで、波乗りを封印するということ。
好きなことをやり切ったからこそ、次へ進める。 そんな気持ちで、私は仕事探しを始めました。
大学を中退してから何年も経っていたので、 いわゆる“新卒の就職活動”とは無縁でした。
求人誌をめくりながら、手探りで仕事を探す日々。 しかも、その時点では 「これがやりたい!」と言い切れる仕事もありませんでした。
実は、私は最初からアパレル業界に進んだわけではありません。 キャリアのスタートは、洋服とはまったく関係のない世界でした。
大学ではホテル観光学科を専攻していたこともあり、 最初に就職したのは観光関連の会社でした。
業務内容は、会員制クラブの会員権販売。 今思うと、どこかバブルの香りが残る仕事だったと思います。
営業スタイルは、いわゆる飛び込み営業。 しかも完全体育会系。 新人はとにかく「気合と根性」。
毎日スーツを着て、汗だくになりながら玄関のチャイムを鳴らす。 おそらく、あの頃の私のスーツは、耐久テストの記録を更新していたはずです(笑)。

さらに驚いたのが、試用期間中は保険未加入という環境。 心身ともに、なかなかハードでした。
数か月が経った頃、 「このままでは、長くは続かないな」 そう冷静に判断し、退職を決意します。
退職後、ぽっかりと時間ができました。 そこで、初めてじっくりと 「自分は何が好きなんだろう?」 「何をしているときが一番楽しいんだろう?」 と考えるようになります。
そのとき、自然と浮かんできたのが 「衣・食・住」の中で、圧倒的に“衣”が好きだという事実でした。

子どもの頃から、洋服に触れるのが好きでした。 学生時代には、カジュアルショップでのアルバイト経験もあります。
思い返すと、接客中に洋服の話が始まると、 つい語りすぎてしまい、時間をオーバーしてしまうこともしばしば。
自分では無意識でしたが、 洋服への興味や愛情は、確実に育っていたのだと思います。
そうして、アパレル業界への就職活動をスタートしました。
最初に受けたのは、トラッド系のアパレルメーカー。 当時の私はIVYスタイルにどっぷりで、 「ここで働けたら最高だな」と、本気で思っていました。
しかし現実は甘くありません。 業界経験も知識もゼロ。 結果は、あえなく不採用。
次に応募したのが、服飾雑貨を扱う問屋さんでした。 ベルトや革小物を中心に、 冬にはマフラーや手袋なども展開している会社です。
ありがたいことに、ここで採用していただき、 ようやくアパレル業界での第一歩を踏み出すことができました。
配属されたのは百貨店事業部。 担当エリアは、北関東・上信越・南東北。
車で地方を回るルート営業が日常でした。 今のようにカーナビもない時代ですから(笑)、 地図とにらめっこしながら走った田舎道も、今では良い思い出です。
入社当初は、まさに右も左もわからない状態。
「赤伝お願い」 「これ、プロパーですか?」
そんな言葉に、心の中で 「赤伝って何?プロパーって?」 と、何度つぶやいたかわかりません。
それでも、恥をかくことを恐れず、 一つひとつ教わりながら吸収していきました。
営業の仕事は、決して華やかではありません。 営業をして、伝票を書いて、出荷まで、何もかもしました。 中でも大変だったのが、値札付け。
当時はバーコードもなく、 一つひとつ手作業で、レースピンを使って取り付けていました。
サイズごと、色ごとに札を分け、 黙々と作業を続ける。 業界では、なぜか「値札付けコンテスト」なるものまでありました(笑)。
夜9時からの物流ドラマ
夜9時を過ぎると、佐川急便のトラックが集荷にやってきます。 会社の前は即席の倉庫状態。
全員で荷物を積み込み、 その日の仕事を終える頃には、心地よい疲労感。
地味だけれど、確かな達成感がありました。
そんな中、OEMとして「ネオブラッド」というブランドの企画を任される機会が訪れます。 モノトーンを基調にした、ヨーロピアンカジュアルのブランドです。
私が担当したのは、サスペンダーの企画でした。 当時流行していた市松模様を取り入れ、 実際に製品化。
自分のアイデアが形になる。 誰かの手に渡る。 その喜びは、想像以上でした。

この経験を通じて、 「もっとものづくりに関わりたい」 という気持ちが、はっきりと芽生えます。
専門学校に進学することも検討しましたが、 ある取引先の副社長から「うちに来ないか」とお声がけをいただきました。
転職を前に、なぜか人生で初めて占いにも行きました(笑)。 「転職したほうがいいですか?」 と聞いた私に、占い師さんは一言。
「どっちでも同じ」
拍子抜けしましたが、 今思えば、「選んだ道を正解にするのは自分次第」 という意味だったのだと思います。

こうして、私のアパレル業界での道は、少しずつ広がっていきました。
学生時代、ただただ好きなことに全力で向き合った経験。 それが、仕事をする上での大きな財産になっていると、今ははっきり言えます。
次回は、この転職先での新たな挑戦についてお話しします。 まだまだ続く「洋服との旅」、 どうぞ、これからも気軽にお付き合いください。
◀︎◀︎◀︎ 【2025年12月19日】 【2025年12月21日】 ▶︎▶︎▶︎
コラムのトップに戻るには、こちらの糸偏コラム:自由な視点クリック