2026.03.28:第102回 私の回顧録
中国縫製の日本営業
〜ある取引について〜
みなさん。こんにちは。
前回のコラムでは、「第四章〜新たな幕開け〜」として、これまでの回顧録に加え、
単なる過去の振り返りではなく、“今につながる物語”としてお届けしていくという新たな方向性についてお話ししました。
これまでは時系列で積み重ねてきた経験を中心にお伝えしてきましたが、これからは、
「その経験が今どう生きているのか」
「現場で何が起きているのか」
といった、より実践的でリアルな視点を交えてお伝えしていきます。
そして今回からは、その第四章の中でも、より具体的な仕事の現場――
**「中国の縫製工場との取引」**にフォーカスし、ひとつひとつの事例を丁寧に掘り下げていきます。
時は2021年。
世界的にも非常に不安定で、先の見えない状況の中で始まった新たな挑戦でした。
今回は、その中のひとつの取引に焦点を当て、
「なぜうまくいかなかったのか」
「どこに課題があったのか」
そのリアルを、できるだけ正直に、そして丁寧にお伝えしていきます。
◾️ 2021年という“逆風のスタート”
2021年。
日本ではコロナワクチン接種が徐々に始まりつつある一方で、
緊急事態宣言が繰り返され、人の動きは大きく制限されていました。
営業という仕事において、「訪問する」という当たり前の行動すら難しい。
これまで築いてきた営業スタイルが通用しない、そんな時期でした。
それでも、何もしないわけにはいきません。
これまで関係のあった取引先に連絡を取り、
可能な範囲で訪問し、挨拶を重ねていきました。
しかし、現場の空気は明らかに違っていました。
以前であれば、新しい提案に対して前向きな反応があった場面でも、
この時期は「様子を見る」という空気が強く、
新規取引に踏み出す余裕がないことが伝わってきました。
営業としての難しさを、これほど強く感じたことはなかったかもしれません。
◾️ アパレル業界全体の厳しさ
2020年も十分に厳しい年でしたが、
実際には2021年の方が、さらに深刻な状況にありました。
売上の回復を期待していた企業にとって、
その期待が裏切られる形となり、
業界全体に重たい空気が広がっていました。
店舗の来客数は戻らず、
在庫は積み上がり、
新たな仕入れにも慎重にならざるを得ない。
つまり、「守り」に入らざるを得ない状況でした。
このような環境の中で、新規の取引を進めることは、
想像以上に難しいものでした。
◾️ スーツ需要の急激な変化
特に影響が大きかったのが、スーツ需要の変化です。
テレワークの普及により、
「毎日スーツを着る」という習慣が急速に薄れていきました。
それまで当たり前だったビジネススタイルが、
短期間で大きく変わってしまったのです。
結果として、オーダースーツの需要は大きく減少。
これは単なる一時的な落ち込みではなく、
市場そのものの構造が変わり始めていると感じました。
その変化の波の中で、営業をしていく難しさを、
強く実感することになりました。
◾️ 中国側の“さらに厳しい状況”
日本だけでなく、中国側の状況も厳しいものでした。
規制はより強く、
工場の稼働にも影響が出ていました。
物流も安定せず、
納期や供給体制にも不安が残る状態。
そうした中での「日本営業の再開」は、
非常にリスクの高い判断でもありました。
今振り返ると、中国の社長にとっては、
まさに「何とか突破口を見つけたい」という、
強い思いがあったのではないかと感じます。
◾️ 思うようにいかない営業成績
しかし、現実は厳しいものでした。
営業としての成果は、正直に言えば――
思うようには出ませんでした。
提案をしても、
検討段階で止まる。
話は進んでも、最終判断に至らない。
そんな状況が続きました。
努力しても結果につながらない。
そのもどかしさを、何度も感じることになりました。
◾️ 外的要因という大きな壁
その背景には、複数の外的要因がありました。
・ コロナ禍というタイミング
・ 為替の変動(円高から円安への移行)
・ 国内回帰の流れ
・ 中国リスクへの警戒感
これらが同時に重なり、
判断をより慎重にさせていました。
どれか一つではなく、
すべてが重なっていたこと。
それが、この取引の難しさを象徴していました。
◾️ 工場の“構造的な弱点”
さらに、内部にも課題がありました。
それが、パターン開発力の弱さです。
これまで日本向けの商品は、
日本企業から提供されたパターンをもとに生産していました。
つまり、
「作る力」はあっても、
「設計する力」が弱かったのです。
この差は、最終的な品質や完成度に
大きく影響する部分でした。
◾️ サンプル提出とクレームの現実
今回の取引では、過去にクレームが発生しており、
再度サンプル提出が求められていました。
何度もサンプルを作成し、
改善を重ねながら提案を行いましたが――
結果は、不合格。
毎回、細かな指摘が返ってきました。
その内容は決して理不尽なものではなく、
むしろ的確なものでした。
だからこそ、
より難しさを感じる状況でもありました。
◾️ 工場側の受け止め方
問題は、その受け止め方でした。
工場側は、
「なぜダメなのか」を深く掘り下げるよりも、
・ なぜ?
・ 本当にこちらの問題なのか?
と、原因を外に求める傾向が強く見られました。
時には、
「相手が厳しすぎるのではないか」
という声も出ていました。
ここに、大きなズレを感じました。
◾️ 改善へのアプローチ
そこで私は、単なる修正ではなく、
“信頼回復のプロセス”が必要だと考えました。
・ 原因の明確化
・ 改善策の具体化
・ 検品体制の強化
・ 報告の透明性
これらを徹底するように伝えました。
ただ直すのではなく、
「なぜ直せたのか」を説明できる状態にする。
そこに意味があると考えたからです。
◾️ 理想と現実のズレ
しかし、現実はそう簡単ではありませんでした。
工場から上がってきた報告書は、
「ミスでした。次回は気をつけます。」
この一言に集約されていました。
これでは、相手に伝わりません。
むしろ、
「改善する意思がない」と受け取られてしまう可能性すらありました。
ここに、大きなギャップを感じました。
◾️ 外部の知見を借りるという選択
そこで私は、外部の力を借りることにしました。
知り合いのオーダースーツ工場の元工場長に相談し、
原因と改善策を整理しました。
その内容をもとに、
具体的な指示として工場に伝えました。
経験に裏打ちされた言葉は、
やはり説得力が違います。
◾️ 「わかっていた」という言葉の違和感
しかし返ってきたのは、
「それは分かっていました」という言葉でした。
正直、複雑な気持ちになりました。
分かっているのに、なぜできないのか。
分かっているのに、なぜ伝えないのか。
そこに、
技術ではない“別の壁”を感じました。
◾️ 自暴自棄という状態
何度も不合格が続く中で、
工場側は次第に自信を失っていきました。
その結果、
自暴自棄に近い状態になっていたように感じます。
責める気持ちもありましたが、
同時に、その心理も理解できる部分がありました。
人は、追い込まれると、
本来の力を発揮できなくなるものです。
◾️ 最後までやり切ったこと
最終的に、報告書は私自身で作成し、
工場には具体的な指示を出しました。
それでも結果は変わらず――
合格には至りませんでした。
悔しさは残りましたが、
やるべきことはやり切ったという思いもありました。
◾️ この取引が残したもの
結果としては失敗です。
しかし、その中で得たものは大きなものでした。
・ 文化の違い
・ 仕事観の違い
・ 責任の捉え方
・ 組織の限界
ひとつの取引の中に、
これだけの要素が詰まっていました。
◾️ まとめ
今回の経験を通じて、私が最も強く感じたこと。
それは――
**「本質が共有されなければ、結果は生まれない」**ということです。
この取引では、技術的な問題も確かにありました。
しかし、それ以上に大きかったのは、
“認識のズレ”でした。
相手が何を求めているのか。
なぜその指摘をしているのか。
その背景にある意図や目的を理解し、
同じ視点で捉えることができなければ、
どれだけ努力を重ねても、成果にはつながりません。
また、人は追い込まれたとき、
無意識に自分を守ろうとします。
今回の工場側の反応も、
単なる責任逃れではなく、
「自分たちの価値を守ろうとする行動」だったのかもしれません。
だからこそ必要なのは、
単なる指摘ではなく、
・ 共通認識をつくること
・ 背景を理解し合うこと
・ 改善の意味を共有すること
このプロセスです。
仕事は一人では成立しません。
必ず相手が存在します。
その相手と同じ方向を向けるかどうか。
そこにこそ、仕事の本質があります。
今回の結果は悔しいものでした。
「もっとできたのではないか」という思いも残ります。
しかし、この経験は、確実に次へとつながるものです。
うまくいかなかったからこそ見えたもの。
それこそが、何よりの財産だと感じています。
◾️ 次回へ向けて
次回も引き続き、今回と同様に、
ひとつの仕事にフォーカスしながら、
・ どう向き合ったのか
・ 何を考えたのか
・ どのように行動したのか
そのリアルを、さらに深くお伝えしていきます。
ぜひ、次回もお楽しみに。